給水管更生・特許工法
日本初・技術審査工法
WHO安全基準適合工法


時代背景

田中総理大臣とニクソン大統領は、1972年8月31日と9月1日にハワイで会談しました。この会談では、日米両国が共通の関心を持つ多くの問題について幅広く議論しました。

水道管用の塗料(軍事物資)の輸入成約。

1983年
WHO勧告、米国では禁止

水道管内塗料にメチルジアニリン(発がん性物質)日本はアメリカより継続輸入。

1985年、神谷、非発がん塗料による新工法開発成功

建設省(現国土交通省)との戦い

日本初、非破壊管検査システム開発

私たち産学チームは「管の非破壊技術の開発」に挑戦することとした。開発競争企業は「東京ガス」であった。審査の結果、東京ガスは合格ラインに届かなかった。しかし、行政から「将来の開発改善力あり」で合格とされた。

一社のみでは審査はできない!!

政府、類似工法を造らせる

チーム開発の非発がん塗料工法は政府によって無視された。政府は、行政好みの既存の大手企業に類似の工法をつくらせた。

工法元(家元制度)を新提案

行政は産学チームでは施工体制が不十分と指摘してきた。チームリーダーの神谷は、日本の伝統である家元制度を提唱した。名称は「工法元」とした。中小企業が大手企業に工法を使用させるシステムである。神谷の画期的共同事業提案に行政は了解した。現在では、開発企業の新しい成長戦略となっている。

開発完成から6年、国会でも問題に

行政はオンリーワン技術の審査は行なわないとの方針であった。技術審査内容を、診断から工法、検査、保証までの一貫したシステム技術に変更した。わたくしたちチームで工法開発済みから5年が経過していた。

ガス会社など大手三社が類似工法で審査合格

管内塗布分野では、「大阪ガス」が競合企業として審査に加わった。行政は複数競争入札制度に固執した。従って、技術審査基準を下げて、複数の大手企業の類似工法を合格とした。

大阪ガスを含め大手企業3社が「工法元制度」を採用して、審査に合格となった。産学チームは唯一からその他大勢の一つとなった。マーケティング的には、競争力を失ったことになる。従って、開発即ベンチャーの「ハーバード事業方式」を断念した。私たちチームのビジョンは「発がん性塗料の排除と安全塗料の普及」であった。まだビジョンは達成されていませんでした。 

国は不正競争防止法違反ではないのか

故笠原英司博士の一言

日本は本当にダメな国となる

塗料は発がん性の従来品のままだった。産学の私の開発チームは法廷に訴えました。結論が出ぬまま、時間だけが過ぎました。毎年、裁判官が変わりました。弁護士は「行政が負けないように」と裁判官を変えるのだと言っていました。

発がん性塗料は放置され使い続けられた。

利を捨てる.岩戸寺の言葉「功徳を尽くせ、如来加持力を起こせ、宇宙力が吹いてくる」